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2013年8月3日(土) わたしたちのイタリア・ルネッサンス 勉強会

今回も「私たちのイタリア・ルネサンス勉強会」を開きました。

Tさんは、「ルネサンス期イタリアの音の世界」と題して、ルネサンス期の音楽についての研究を発表してくださいました。いつもは絵画や彫刻といった視覚鑑賞が中心ですが、聴覚からルネサンスを鑑賞するという、とても貴重な時間を過ごすことが出来ました。まずは、イタリア・ルネサンス前夜としてトレチェント(1300年代)の音楽を聴きました。フランチェスコ・ランディーニです。その後の時代ですが、Tさんの作成した年表ではイタリア出身の音楽家は15世紀後半まで存在しません。実は、音楽の需要はあったのですが、イタリア出身の音楽家はいなかったそうです。アドリアン・ヴィラールトらフランドルで生れた音楽家がイタリアに音楽を持ち込んだそうです。ヴィラールトはヴェネツィア楽派の開祖です。マニエリスム期になると、音楽も絵画と同様に規範を逸脱した音階になります。カルロ・ジェズアルドを聴きました。複雑で、時々奇妙なハーモニーが登場します。次に、ローマ派のジョヴァンニ・ペルルイージ・ダ・パストリーナ、次に後のオペラにつながる「フィレンツェのカメラータ」の音楽を聴きました。ヤコポ・ペーリです。「カメラータ」とは16世紀後半のフィレンッツェでの人文主義たち知識人の音楽サークルで、古代ギリシャの音楽を復興させようとしたグループです。古代ギリシャの音楽は、もちろん録音されていませんから残っていないので、想像して演奏したそうです。楽器の伴奏で一人で歌うことが、オペラに繋がり、バロックにも継承されたそうです。もう一つのバロックの源流として、ヴェネツィア楽譜のジョバンニ・ガブリエーリを聴き、バロックの最初、つまりルネサンスの出口として、クラウディオ・モンヴェルディを鑑賞しました。

Yさんは、「ルネサンスとはなんであったか?」を再度問い直して、発表してくださいました。一般的に、ルネサンスの始まりは、ダンテやジョット―とされていますが、彼らがルネサンスの大輪の花を咲かせたとしたら、その土壌を整えたのは、聖フランチェスコとフリードリッヒUだと考えます。聖フランチェスコは、教義で縛るのではなく、キリスト教の慈愛を(ラテン語ではなく)イタリア語で伝えました。文字の読めない人たちのために、「貧しき者は幸いなれ」の下、豪奢になりがちなステンドグラスではなく、フレスコ画で教えを伝えたのです。聖フランチェスコがいなければ、フレスコ画の再興はなかったと考えました。また、フリードリッヒUは啓蒙君主で、人々に理想的な国家モデルは政治や軍事だけでなく経済・学問・文化が重要であることを広めたとしました。この二人の存在がルネサンスの大地を準備し、ダンテとジョット―の種がすくすくと育ったのです。

Sさんは、ドナテッロについてお話しくださいました。ドナテッロでは≪ダヴィデ像≫しか知らなかったSさんは、その後調べてみると多くの作品があることを知ったそうです。≪ヘロデの饗宴≫では「スキアッチャート」と呼ばれる超薄肉浮彫の作品があります。ブルネッレスキが発明した遠近法を取り入れていて、彫刻と絵画の中間のような作品です。サロメが差し出す洗礼者ヨハネの首に、身体をよじって恐がる人々など、ドラマチックでコミカルともとれるポーズです。また、ドナテッロの磔刑図とブルネレスキの磔刑図を比較しました。ドナテッロのキリストは肉感的で人間的、ブルネレスキの軽量感のあるすっきりとしたキリストに比べて、十字架からずり落ちそうな現実感があります。また、ルネサンス期に制作された最初の騎馬彫刻像である≪ガッタメーラ騎馬像≫、その後数世紀にわたって騎馬像の原点となった作品など、≪ダヴィデ像≫以外のドナテッロの作品を皆で鑑賞しました。

次回は、今回時間切れで発表できなかった方たちに発表していただきます。また、この研究をどのようにまとめていくか、具体的に話し合う予定です。
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